小須田潤太の経歴と現在を徹底解説!世界選手権金メダルから2026年の挑戦まで

目次

パラスノーボーダーとして世界の舞台で活躍する小須田潤太(こすだ・じゅんた)さん。2012年の交通事故で右大腿部を切断した後、パラ陸上競技に出会い、さらにパラスノーボードへと挑戦の場を広げてきた日本を代表するパラアスリートです。

2025年3月にはカナダで開催されたパラスノーボード世界選手権の男子バンクドスラローム・LL1クラスで優勝し、日本人選手として初めて同種目の金メダルを獲得。2026年のミラノ・コルティナ冬季パラリンピックでは、日本選手団の旗手を務め、スノーボードクロス4位、バンクドスラローム5位という成績を残しました。1990年10月5日生まれで、2026年11月現在は36歳。現在もオープンハウスグループに所属するアスリートとして活動しています。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】

  • プロフィール:1990年10月5日生まれ、埼玉県所沢市出身。オープンハウスグループ所属のパラスノーボーダー。
  • 競技人生の転換点:2012年の交通事故で右大腿部を切断。その後、山本篤さんとの出会いをきっかけにパラ陸上を始め、パラスノーボードにも挑戦した。
  • 世界的な実績:2025年世界選手権バンクドスラロームで日本人初優勝。2026年ミラノ・コルティナではスノーボードクロス4位、バンクドスラローム5位に入賞。

【小須田潤太のプロフィール】年齢・出身地・所属会社を紹介

小須田潤太

小須田潤太さんは、パラ陸上とパラスノーボードの両方で国際大会を経験したアスリートです。東京2020パラリンピックでは夏季競技、北京2022冬季パラリンピックとミラノ・コルティナ2026では冬季競技に出場しています。

現在はスノーボードを主軸に活動しており、世界選手権での優勝経験を持つ日本のトップ選手の一人です。

小須田潤太の基本プロフィール

  • 名前:小須田潤太(こすだ じゅんた)
  • 生年月日:1990年10月5日
  • 年齢:36歳(2026年11月現在)
  • 出身地:埼玉県所沢市
  • 現在の居住地:千葉県野田市
  • 所属:株式会社オープンハウスグループ
  • 主な競技:パラスノーボード
  • 過去の競技:パラ陸上(100m・走り幅跳び)
  • スノーボードのクラス:SB-LL1
  • 陸上競技のクラス:T63

出身校は、所沢市立安松小学校、所沢市立安松中学校、埼玉県立所沢中央高等学校です。地元の所沢市も公式ホームページで小須田選手を紹介しており、地域にゆかりのあるトップアスリートとして応援しています。

なお、出身地と現在の居住地は異なります。埼玉県所沢市出身で、2026年の野田市の公表プロフィールでは千葉県野田市在住とされています。

年齢については、生年月日が1990年10月5日であるため、2026年11月1日時点では36歳です。2026年6月時点の自治体資料に記載された35歳という表記とは、誕生日を迎えたかどうかによる違いがあります。

プロフィールの基本情報は、オープンハウスグループの選手紹介、所沢市、野田市、パラサポWEBの選手名鑑で確認できます。

【交通事故からパラ陸上へ】小須田潤太の人生を変えた山本篤との出会い

小須田潤太さんの競技人生を語るうえで欠かせないのが、2012年3月に起きた交通事故です。

21歳で右大腿部を切断する交通事故に遭う

小須田さんは大学を2年生で中退した後、アルバイトをしていた引っ越し会社に就職しました。事故が起きたのは、そこで働いていた21歳のときです。

2026年2月に公開されたJ:COMのインタビューで、小須田さんは当時の状況について詳しく語っています。

仕事の繁忙期で十分な休みが取れない状況が続き、トラックの運転中に居眠りをしてしまったことが事故の原因でした。車両が路側帯に乗り上げ、道路標識と車体の間に右足が挟まれた結果、右脚の大部分を失うことになりました。

事故後はリハビリを経て職場に復帰し、事務職として働きました。しかし、以前のように目標を持って生活することが難しく、競技に取り組む気持ちもすぐには生まれなかったといいます。

J:COMのインタビューでは、事故後の約3年間はさまざまなパラスポーツを体験したものの、本格的に競技を始める決心がつかなかったことも明かしています。

転機となったのはパラ陸上の山本篤との出会い

小須田さんにとって大きな転機となったのは、2015年に参加した義足のランニングクリニックでした。

そこで講師を務めていたのが、パラ陸上のトップ選手として活躍していた山本篤さんです。

山本さんも義足で競技に取り組む選手でした。同じように足に障害がありながら、力強く走る姿を見た小須田さんは、強い衝撃を受けたと振り返っています。

当初、競技用義足の購入には約80万円が必要で、簡単に用意できる金額ではありませんでした。しかし、クリニックから約2か月後、山本さんから再び連絡があり、以前使用していた板バネを貸してもらったことで練習を始められるようになりました。

味の素グループの2025年公開インタビューでは、2016年、25歳のときに陸上競技のキャリアをスタートさせた経緯が紹介されています。

事故から競技開始までの道のりは、単純な成功物語ではありません。競技を始めるための経済的なハードルや、障害を負った後の生活、そして競技との出会いが重なって、現在につながっています。

山本篤が競技人生に与えた影響

山本さんは、単に陸上競技を教えた人物ではありません。小須田さんが新しい目標を持つきっかけとなり、その後のスノーボードへの挑戦にも影響を与えました。

同じ障害を持つ先輩アスリートの姿を間近で見たことで、自分にも世界を目指す道があると実感できたことが、競技人生の出発点になったのです。

小須田さんの歩みを理解する際には、事故そのものだけでなく、山本さんとの出会いが競技への意識を大きく変えたことにも注目したいところです。

【パラ陸上からパラスノーボードへ】転向の理由とLL1クラスの特徴

小須田さんはパラ陸上を始めた後、2017年ごろからスノーボードにも挑戦するようになりました。2018年からパラスノーボードにも本格的に取り組み、夏と冬の両方で世界を目指す二刀流の競技生活が始まります。

2017年にスノーボードへ挑戦した理由

スノーボードを始めるきっかけも、山本篤さんでした。

2017年2月、山本さんが国内のスノーボード大会で優勝し、代表チームに入ったことを知った小須田さんは、大きな刺激を受けたとJ:COMのインタビューで語っています。

子どものころに雪山で遊んだ経験はあったものの、本格的な競技経験はほとんどありませんでした。それでも、自分も挑戦したいという気持ちから、新しい競技に取り組み始めます。

2018年からパラスノーボードにも挑戦したという経歴は、オープンハウスグループや所沢市の公式プロフィールにも記載されています。

東京2020と北京2022で夏冬の二刀流を実現

小須田さんは2021年に開催された東京2020パラリンピックで、パラ陸上のT63クラスに出場しました。

男子走り幅跳びでは自己ベストを更新する5.95mを記録し、7位入賞。男子100mにも出場しましたが、こちらは予選敗退でした。

続く2022年の北京2022冬季パラリンピックでは、パラスノーボードに出場。男子スノーボードクロスで7位、男子バンクドスラロームで10位という成績を残しました。

夏季・冬季の異なる大会で入賞を経験したことは、小須田さんの大きな実績です。

スノーボード一本に絞った理由

転機になったのは、東京2020と北京2022の経験でした。

国際大会で世界のトップ選手と競い合ったことで、メダルを獲得したいという気持ちが強くなった小須田さん。夏と冬の競技を並行して続けるのではなく、目標達成に向けて競技を絞る決断をしました。

2021~2022年シーズンからはスノーボードに専念しています。

J:COMのインタビューでは、夏季競技と冬季競技の両立には大きな負担があり、ミラノ・コルティナ大会に向けて冬季競技に集中する判断をしたことを説明しています。

小須田潤太の競技クラス「LL1」とは?

小須田さんが出場するスノーボードのクラスはSB-LL1です。

パラスノーボードは、障害の種類や程度によって競技クラスが分けられています。LLは下肢障害を意味し、LL1はLL2と比較して下肢の障害による競技動作への影響が大きい選手を対象とするクラスです。

小須田さんは右大腿部を切断しており、競技では義足を使用します。障害の状態によってバランスの取り方やボードの操作が異なるため、クラス分けは公平な競争を成立させるために設けられています。

なお、陸上競技で使用していたT63は、下肢切断などの障害がある選手を対象とする陸上競技のクラスです。LL1とT63は異なる競技の分類であり、同じ意味ではありません。

スノーボードクロスとバンクドスラロームの違い

小須田さんが出場するパラスノーボードには、主に2つの競技があります。

  • スノーボードクロス:複数の選手が同時にコースを滑走し、順位を競う勝ち抜き形式の競技。コース上の起伏やジャンプ、選手同士の駆け引きが見どころです。
  • バンクドスラローム:傾斜のついたカーブが連続するコースを滑り、タイムを競う競技。ターンの精度やスピードの維持、コースへの適応力が求められます。

スノーボードクロスは複数選手の競り合いが勝敗に影響する一方、バンクドスラロームでは自分の滑走タイムをいかに縮めるかが重要です。

同じスノーボードでも求められる能力は異なります。2種目で上位に入るには、スピードだけでなく、技術、バランス、状況判断など幅広い能力が必要になります。

【小須田潤太の経歴・成績一覧】2012年から2026年までの軌跡

小須田さんの経歴を時系列で整理すると、交通事故からパラ陸上への転身、スノーボードへの挑戦、国際大会での実績という流れが見えてきます。

特に注目したいのは、2023年のワールドカップ初優勝から2025年の世界選手権制覇まで、着実に国際競技力を高めてきたことです。

年・時期 出来事・競技実績 主な内容
1990年 誕生 10月5日、埼玉県所沢市生まれ
2012年 交通事故 21歳で右大腿部を切断
2015年 パラ陸上との出会い 義足のランニングクリニックで山本篤さんと出会う
2016年 陸上競技を本格化 25歳でパラ陸上の競技人生をスタート。同年オープンハウスグループ入社
2017~2018年 スノーボードに挑戦 山本篤さんの活躍に刺激を受け、競技を始める
2021年 東京2020パラリンピック 走り幅跳びT63で7位入賞、100mは予選敗退
2022年 北京2022冬季パラリンピック スノーボードクロスLL1で7位、バンクドスラローム10位
2023年 ワールドカップ初優勝 スノーボードクロスLL1で優勝
2024年 ワールドカップ フィンランド大会のスノーボードクロスで2日連続3位
2025年3月 世界選手権優勝 カナダ大会のバンクドスラロームLL1で日本人初優勝
2026年3月 ミラノ・コルティナ2026 スノーボードクロス4位、バンクドスラローム5位
2026年10月 アジアパラ関連イベントに出演 名古屋のONE HEART WORLDでトークショーに登壇

この年表から分かるように、小須田さんはパラ陸上を始めてから比較的短期間で東京パラリンピックに出場し、その後、スノーボードへ競技の軸を移しています。

オープンハウスグループの公式活動報告によると、2023年にはフィンランド大会とイタリア大会のワールドカップで優勝を経験。2024年にも表彰台に立ち、2025年の世界選手権優勝へとつなげました。

陸上とスノーボードの両方でパラリンピックに出場した経験は、小須田さんのキャリアを特徴づける重要な要素です。

【2025年世界選手権で日本人初の金メダル】ミラノ・コルティナ2026の結果も解説

小須田さんの競技人生における大きな成果が、2025年3月にカナダのビッグホワイトで開催されたFISパラスノーボード世界選手権です。

2025年3月、バンクドスラロームで日本人初優勝

小須田さんは男子バンクドスラロームのSB-LL1クラスで優勝しました。

日本人パラスノーボーダーとして初めて、世界選手権の同種目で金メダルを獲得した歴史的な結果です。

さらに、同大会のスノーボードクロスでも5位に入っています。つまり、1種目だけの偶然の好成績ではなく、異なる競技形式の両方で世界上位の実力を示したことになります。

この優勝は、2026年のミラノ・コルティナ冬季パラリンピックに向けても大きな弾みとなりました。

また、オープンハウスグループは2025年8月、同大会での実績を受け、小須田さんが文部科学大臣から「令和7年度スポーツ功労者」として顕彰されたことを発表しています。

2026年1月、海外遠征中に右肘を骨折

ミラノ・コルティナ大会を目前に控えた2026年1月14日、小須田さんはオーストリアで開催されたワールドカップのバンクドスラローム公式練習中に転倒しました。

日本障害者スキー連盟の発表によると、診断結果は右肘の橈骨頭骨折でした。

同連盟は1月15日に負傷状況を公表。帰国後に医療機関で精密検査を受け、ミラノ・コルティナ大会に向けて治療と復帰を目指すと説明しました。

2026年2月のJ:COMインタビューでは、小須田さん自身も右肘の状態が万全ではないことを明かしています。特にスタート時に腕を使う動作や、細かなターンに影響が残っていたと報じられました。

それでも大会への出場を目指して練習を再開し、予定していた2種目に挑みました。

ミラノ・コルティナ2026のスノーボードクロスは4位

2026年3月8日に行われた男子スノーボードクロスSB-LL1クラスでは、小須田さんが決勝に進出しました。

決勝では3番手でゴールしましたが、走路妨害と判定され、最終順位は4位となりました。

メダルまであと一歩という結果でしたが、決勝の舞台で表彰台を争ったことは大きな実績です。

試合後に小須田さんが語った言葉として、日本財団パラスポーツサポートセンターの報道記事には、次のコメントが紹介されています。

「きれいに言えば、攻めた結果」

攻めの姿勢を貫いた末の4位。判定によって順位が変わった悔しさと、勝利を目指して挑んだ競技者としての姿勢が表れたコメントです。

バンクドスラロームは5位入賞

続く3月13日の男子バンクドスラロームSB-LL1クラスでは、5位入賞を果たしました。

この種目は2025年の世界選手権で金メダルを獲得した得意種目でもあります。

日本障害者スキー連盟の大会報告では、右肘の骨折を抱えながら痛みをこらえて出場したことが、テクニカルコーチのコメントで紹介されています。

2026年の成績を整理すると、次のようになります。

  • スノーボードクロス:4位
  • バンクドスラローム:5位

どちらもメダルには届きませんでしたが、2種目で入賞しています。2025年の世界選手権金メダリストとして期待を集めるなか、負傷を抱えながら世界の上位選手と競い合った大会でした。

なお、小須田さんはミラノ・コルティナ2026の日本選手団旗手にも選ばれています。競技成績だけでなく、日本代表を率いる立場としても大きな役割を担いました。

【小須田潤太の現在・2026年最新】オープンハウスでの活動と今後の目標

2026年11月現在、小須田さんは36歳。ミラノ・コルティナ大会を終えた後も、パラスポーツに関わる活動を続けています。

オープンハウスグループ所属のアスリートとして活動

小須田さんは2016年にオープンハウスグループへ入社しました。

同社の公式プロフィールによると、入社後は不動産関連の業務にも携わりながら、パラアスリートとして競技を続けてきました。現在は競技活動に専念していると紹介されています。

企業が所属アスリートを支援することは、海外遠征や競技環境の確保、トレーニング時間の確保という点でも大きな意味を持ちます。

小須田さんのように国際大会を転戦する冬季競技の選手にとって、競技に集中できる環境は競技力を維持するための重要な要素です。

2026年6月にはパラスポーツ指導者向けの講演も実施

2026年6月6日には、埼玉県パラスポーツ指導者協議会の研修会に講師として参加しました。

研修会の報告によると、講演テーマは「挑戦し続けるメンタルの秘訣」。東京2020、北京2022、2025年世界選手権、ミラノ・コルティナ2026での経験などを背景に、挑戦を続ける姿勢について伝える機会となりました。

競技者として世界を目指すだけでなく、自身の経験を次世代の指導者やパラスポーツに携わる人々に伝える活動も広がっています。

2026年10月、名古屋のONE HEART WORLDに登壇

2026年10月19日には、愛知・名古屋で開催されたアジアパラ競技大会関連イベント「ONE HEART WORLD」のレジェンドアスリートトークショーに出演しました。

会場は名古屋市のオアシス21。競泳の宮下純一さん、女子バスケットボールの栗原三佳さん、パラバドミントンの伊藤則子さんとともに登壇し、競技の魅力や挑戦について語りました。

当日のレポートでは、夏季のパラ陸上と冬季のスノーボードを両立していた時期についても話題になっています。

小須田さんは、現在はスノーボードに競技を絞っている一方、ゴルフにも取り組んでいることが紹介されました。

この活動からは、競技だけにとどまらず、パラスポーツの普及や他のアスリートとの交流にも関わっている姿がうかがえます。

【プロの結論】小須田潤太の強さは競技選択と継続的な挑戦にある

小須田さんのキャリアを評価する際、単に交通事故を乗り越えて世界選手権で優勝したというストーリーだけで捉えるのは十分ではありません。

注目すべきなのは、競技環境や目標に応じて、自分の進む方向を選び直してきたことです。

パラ陸上を始めた後、山本篤さんの影響でスノーボードにも挑戦。夏冬の二刀流を経験したうえで、最終的にはメダル獲得を目指してスノーボードに専念しました。

2023年のワールドカップ優勝、2025年の世界選手権金メダル、そして2026年のパラリンピック2種目入賞という実績は、その選択と積み重ねを示しています。

また、競技を理解する読者にとって重要なのは、世界選手権とパラリンピックの成績を区別することです。2025年の金メダルは世界選手権のバンクドスラロームで獲得したものであり、2026年のパラリンピックでは4位と5位でした。両者を混同しないことが、小須田さんの実績を正確に評価するポイントです。

2026年の大会では負傷という困難もありましたが、2種目で入賞。さらに競技後も講演やイベントに参加しています。次の舞台に向けた活動と、競技経験を社会に伝える役割の両方が、現在の小須田さんを形作っています。

【小須田潤太に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:小須田潤太さんの年齢は何歳ですか?
A1:1990年10月5日生まれで、2026年11月現在は36歳です。

Q2:小須田潤太さんの出身地はどこですか?
A2:埼玉県所沢市です。所沢市立安松小学校・中学校、埼玉県立所沢中央高等学校を卒業しています。2026年の自治体プロフィールでは千葉県野田市在住とされています。

Q3:小須田潤太さんは交通事故でどのような障害を負ったのですか?
A3:2012年3月、21歳のときに仕事中の交通事故に遭い、右大腿部を切断しました。その後リハビリを経て、2015年の義足ランニングクリニックで山本篤さんと出会い、パラ陸上を始めました。

Q4:小須田潤太さんの2025年世界選手権の成績は?
A4:カナダで開催されたFISパラスノーボード世界選手権の男子バンクドスラロームLL1クラスで優勝しました。日本人パラスノーボーダーとして初の同種目金メダルです。スノーボードクロスでは5位でした。

Q5:ミラノ・コルティナ2026のパラリンピックでは何位でしたか?
A5:男子スノーボードクロスLL1で4位、男子バンクドスラロームLL1で5位に入賞しました。また、日本選手団の旗手も務めています。

Q6:小須田潤太さんは現在もパラ陸上を続けていますか?
A6:現在はスノーボードに競技を絞っています。パラ陸上での経験は競技人生の重要な出発点であり、現在はパラスノーボードを中心に活動しています。

Q7:小須田潤太さんの所属会社はどこですか?
A7:株式会社オープンハウスグループです。2016年に入社し、社員としての所属を持ちながらパラアスリートとして活動してきました。

まとめ:小須田潤太は次の舞台を見据える日本のパラスノーボーダー

小須田潤太さんは、2012年の交通事故を経験した後、山本篤さんとの出会いをきっかけにパラ陸上を始め、さらにパラスノーボードへと挑戦の幅を広げてきました。

東京2020では走り幅跳び7位、北京2022ではスノーボードクロス7位。2021~2022年シーズンからスノーボードに専念すると、2023年のワールドカップ優勝を経て、2025年には世界選手権のバンクドスラロームで日本人初の金メダルを獲得しました。

そして2026年のミラノ・コルティナ冬季パラリンピックでは、右肘の負傷を抱えながらもスノーボードクロス4位、バンクドスラローム5位という結果を残しています。

2026年11月現在、36歳となった小須田さんは、競技活動に加えて講演やパラスポーツの普及にも取り組んでいます。

次のパラリンピックの舞台を見据えながら、どのような成長を見せるのか。2025年の世界選手権金メダリストとしての実力と、2026年大会で味わった悔しさの両方を糧にする今後の活動に注目が集まります。

主な情報源: オープンハウスグループ公式選手紹介、所沢市・野田市公式資料、日本障害者スキー連盟、パラサポWEB、J:COMの2026年インタビュー、味の素グループの活動レポート、2026年10月のONE HEART WORLD登壇報道。