長嶋茂雄と王貞治の関係を徹底解剖|ON砲・V9、天覧試合から一周忌の言葉まで

目次

長嶋茂雄さんと王貞治氏。日本プロ野球の歴史を語るうえで欠かせない二人は、巨人軍の黄金時代を支えた盟友であり、「ONコンビ」「ON砲」として日本中の野球ファンを熱狂させた存在だ。1959年の天覧試合、1965年から1973年まで続いた巨人のV9、そして2000年の日本シリーズで実現した監督同士の対決。二人の歩みには、単なるチームメートという言葉では収まらない特別な関係が刻まれている。

2025年6月3日に長嶋さんが89歳で逝去してから、2026年6月3日には一周忌を迎えた。その日に王氏が発表した追悼コメントには、長嶋さんが日本野球界に残した存在の大きさと、盟友への変わらない敬意が込められていた。2026年11月現在の王氏の活動、通算868本塁打という記録、二人の打撃スタイルの違いまで、球史に残る事実をたどる。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】

  • 二人の関係:長嶋茂雄と王貞治は巨人の主軸として活躍し、ON砲の愛称で親しまれた盟友。
  • 最大の功績:川上哲治監督のもと、1965~1973年の9年連続日本一、巨人V9を支えた。
  • 2026年最新情報:王氏は一周忌に長嶋さんへの追悼コメントを発表。現在も福岡ソフトバンクホークスの取締役会長を務めている。

【二人の関係】長嶋茂雄と王貞治はなぜON砲と呼ばれたのか

長嶋茂雄王貞治

長嶋茂雄と王貞治の関係を一言で表すなら、同じ球団の黄金時代を築き上げた最高のライバルであり、互いの存在が大きな刺激となった盟友である。

ONという呼び名は、王の「O」と長嶋の「N」を組み合わせたもの。二人が巨人の打線の中心を担ったことから、ONコンビ、ON砲という愛称が定着した。

1958年に出会い、翌年から同じチームの主軸へ

長嶋は1936年2月20日生まれ。立教大学で活躍した後、1958年に読売ジャイアンツへ入団した。プロ1年目から本塁打王と打点王を獲得し、新人王にも選ばれるという鮮烈なデビューを飾っている。

一方、王は1940年5月20日生まれ。早稲田実業高校で投手兼四番打者として活躍し、1959年に巨人へ入団した。

読売ジャイアンツの公式追悼ページには、1958年9月1日に東京駅で二人が初めて対面した際の写真が掲載されている。巨人入りを表明した王に対し、長嶋が激励した場面だ。まだプロでの実績がない王にとって、すでに球団のスターだった長嶋との出会いは印象的な出来事だった。

異なる個性が生み出したONコンビの魅力

二人の魅力は、打撃スタイルも性格的な印象も異なっていたことにある。

長嶋は右打ちの三塁手。豪快なスイング、華やかな守備、ここぞという場面での勝負強さで観客を魅了した。プレーそのものがショーのような躍動感を持ち、球場全体を盛り上げるスターだった。

王は左打ちの一塁手。一本足打法を確立し、圧倒的な本塁打数を積み上げた。独自の打撃理論と反復練習によって技術を磨き続けた努力家でもある。

長嶋が試合の流れを変える華やかな存在なら、王は数字と結果で相手投手に圧力を与える存在だった。異なる強みを持つ二人が同じ打線に並んだことが、ON砲の大きな武器となった。

【1959年天覧試合】長嶋のサヨナラ本塁打と王の同点弾が生んだ伝説

二人の関係を象徴する歴史的な試合が、1959年6月25日に後楽園球場で行われた巨人対阪神戦だ。昭和天皇と香淳皇后が観戦した、プロ野球史上初の天覧試合として知られている。

王の同点本塁打、長嶋の劇的なサヨナラ弾

試合は巨人と阪神が激しく競り合う展開となった。

巨人は5回に長嶋と坂崎一彦の連続本塁打で逆転。しかし、阪神も反撃し、試合は再び接戦となる。7回には王貞治が本塁打を放ち、巨人が同点に追いついた。

そして迎えた9回裏。4対4の同点から、長嶋が阪神の村山実投手から左翼ポール際へのサヨナラ本塁打を放った。最終スコアは巨人5対4阪神。長嶋はこの試合で2本塁打を記録した。

王の同点弾と長嶋のサヨナラ弾。二人の本塁打が同じ試合で生まれたこの一戦は、ONコンビの象徴的なエピソードとして語り継がれている。

なぜ天覧試合は今も語り継がれるのか

この試合の価値は、単にサヨナラ本塁打が出たことだけではない。

天皇・皇后両陛下が観戦するという特別な舞台で、プロ野球のスター選手が期待に応える劇的な試合を展開した。長嶋のサヨナラ本塁打は、野球が国民的な娯楽として存在感を高めていく時代の象徴となった。

王もまた、この試合で同点本塁打を放っている。つまり、天覧試合は長嶋一人の伝説ではなく、後のON砲につながる二人の才能が同じ舞台で輝いた試合でもあった。

【巨人軍V9】1965年から1973年まで続いたON砲の黄金時代

長嶋と王の関係を語るうえで、絶対に外せないのが巨人軍のV9だ。

V9とは、1965年から1973年まで巨人が9年連続でセ・リーグ優勝と日本シリーズ制覇を達成した歴史的記録である。

当時の監督は川上哲治。長嶋と王だけでなく、堀内恒夫をはじめとする投手陣や野手陣など、優れた選手たちを擁するチームだった。

ON砲が果たした役割

V9を支えた二人の役割は明確に異なっていた。

王は一本足打法を武器に本塁打を量産し、相手投手にとって極めて大きな脅威となった。通算868本塁打という歴史的な記録につながる打撃力は、巨人の得点力を支える中心的な武器だった。

長嶋は安打、本塁打、打点を積み重ねるだけでなく、勝負どころで結果を残す打者として活躍した。三塁守備でも存在感を発揮し、攻守両面でチームを牽引した。

二人が並ぶ打線は、相手投手にとって逃げ場のないプレッシャーを生み出した。一人を抑えても、もう一人が控えている。ON砲は個人の記録だけでなく、打線全体の攻撃力を高める存在だった。

V9はON砲だけで達成されたのか

ここで押さえておきたいのは、V9を長嶋と王の二人だけの功績として捉えるのは正確ではないという点だ。

川上監督のチームづくり、投手陣の安定感、守備力、選手層の厚さ、そして勝利への徹底した意識が組み合わさって、9年連続日本一という偉業が実現した。

ON砲はその中心的な象徴だったが、二人の打撃力を最大限に生かしたチーム全体の完成度こそが、V9の本質だったのである。

テレビ中継の普及と高度経済成長期が重なったことも、巨人とON砲の人気を全国へ広げる大きな要因となった。

【徹底比較】長嶋茂雄と王貞治の通算成績・経歴・関係一覧

二人は同じ巨人の主力打者として活躍したが、個人成績を比較すると、それぞれの特徴がはっきりと見えてくる。

以下は日本野球機構や野球殿堂博物館などの公的な選手記録を基に整理した比較表だ。

比較項目 長嶋茂雄 王貞治 二人の関係・特徴
生年月日 1936年2月20日 1940年5月20日 長嶋が約4歳年上
巨人入団 1958年 1959年 同じチームで主軸を形成
主な守備位置 三塁手 一塁手 異なるポジションで活躍
投打 右投右打 左投左打 左右の異なる打撃スタイル
通算試合 2186試合 2831試合 ともに長期間にわたり活躍
通算安打 2471本 2786本 両者とも2000安打を達成
通算本塁打 444本 868本 王はNPB歴代最多記録保持者
通算打点 1522打点 2170打点 二人とも巨人の得点源
通算打率 .305 .301 ともに3割を超える実績
V9 1965~1973年 1965~1973年 9年連続日本一に貢献
2000年日本シリーズ 巨人監督 ダイエー監督 初の監督同士のON対決
2026年の状況 2025年6月3日逝去 ソフトバンク取締役会長 王が盟友の功績を継承

王貞治の868本塁打は何がすごいのか

王の通算868本塁打は、日本プロ野球の歴代最多記録である。

野球殿堂博物館の公式プロフィールによると、王は1959年から1980年まで巨人に在籍し、通算2831試合で2786安打、868本塁打、2170打点を記録した。打率は.301だった。

さらに、本塁打王15回、打点王13回、最優秀選手9回という実績を残している。1973年と1974年には2年連続で三冠王を獲得した。

868本という数字は、単に長期間プレーしただけでは到達できない。一本足打法という独自の技術を磨き、相手投手との駆け引きを重ね、毎年高い水準の打撃を維持した結果である。

長嶋茂雄の444本塁打と打率.305の価値

長嶋の通算成績も、王に劣らず歴史的なものだ。

1958年から1974年までの17年間で、2471安打、444本塁打、1522打点、打率.305を記録。首位打者6回、最優秀選手5回、ベストナイン17回という輝かしい実績を持つ。

特に注目したいのは、長嶋が三塁手として守備でも高く評価されていたことだ。野球殿堂博物館の記録では、1972年と1973年にゴールデングラブ賞を受賞している。

王が圧倒的な本塁打数で歴史に名を刻んだ一方、長嶋は打撃と守備を兼ね備えた三塁手として、球界を代表するスターになった。

【プロの結論】二人の優劣は本塁打数だけでは決められない

長嶋と王を比較するとき、通算本塁打数だけで優劣を決めるのは適切ではない。

王は868本という突出した本塁打記録を持つ歴史的な長距離打者。長嶋は打率.305、2471安打、444本塁打に加えて、三塁守備でも高い評価を得た総合力のある選手だった。

評価の基準を本塁打に置けば王、攻守の総合的な貢献や試合を動かす存在感に注目すれば長嶋というように、異なる観点から二人の偉大さを理解することができる。

そもそもON砲の魅力は、同じタイプの打者が二人並んだことではない。異なる能力を持つ二人が互いの強みを生かし、チーム全体の力を引き上げたことにある。

【2000年日本シリーズ】長嶋茂雄と王貞治が監督として対決したON対決

現役時代に巨人の黄金時代を築いた二人が、今度は別々のチームの監督として対戦する。そんな歴史的な舞台が実現したのが、2000年の日本シリーズだった。

巨人・長嶋監督対ダイエー・王監督

2000年の日本シリーズでは、長嶋茂雄監督率いる巨人と、王貞治監督率いる福岡ダイエーホークスが対戦した。

当時のダイエーは1999年に日本一となっており、2年連続の日本一を狙っていた。一方の巨人も日本一を目指しており、球界を代表する二人が監督として対峙することになった。

共同通信の用語解説によると、シリーズ序盤はダイエーが2連勝。しかし、第3戦から巨人が4連勝して巻き返し、最終的には巨人が4勝2敗で日本一を獲得した。

松井秀喜がMVPを獲得した2000年の巨人

このシリーズで最高殊勲選手、つまりMVPに選ばれたのは、巨人の松井秀喜だった。松井はシリーズで3本塁打を記録し、巨人の日本一に大きく貢献した。

この結果、長嶋は監督として巨人を日本一に導き、王は対戦相手として敗れることになった。現役時代には同じユニホームを着て戦った二人が、異なるベンチから勝利を目指したのである。

ON対決は二人の関係が変わった瞬間だったのか

2000年の対決を、二人の個人的な確執や敵対関係として理解するのは誤りだ。

両者はそれぞれの球団を率いる監督として、勝利を目指して戦った。現役時代から築いてきた関係が、対戦によって否定されたわけではない。

むしろ、この対決が特別だったのは、同じ巨人でV9を支えた二人が、今度は別々の球団を代表する指導者として日本シリーズの舞台に立ったことだ。

長嶋にとっては最後の日本シリーズとなった。ON対決は、現役時代の黄金期から新しい野球人生へと続く二人の物語を象徴する出来事だった。

【2025年6月3日から2026年へ】長嶋茂雄の逝去と王貞治の一周忌コメント

長嶋茂雄さんは、2025年6月3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で逝去した。89歳だった。

日本プロ野球名球会の公式発表によると、長嶋さんは通算2471安打、444本塁打、1522打点を記録。現役引退後も巨人の監督や終身名誉監督を務め、日本野球界の発展に貢献した。

長嶋さんの訃報は、巨人ファンだけでなく、球団の垣根を越えて多くの野球関係者やファンに大きな衝撃を与えた。

2025年6月3日、王貞治が語った盟友への思い

長嶋さんが亡くなった当日、王氏は報道陣の取材に応じ、現役時代の思い出を振り返った。

日刊スポーツの報道によると、王氏は長嶋さんについて、プレーだけでなく人柄の明るさやユーモアも印象的だったと回想した。特に、長嶋さんならではの不思議な存在感を懐かしんでいた。

また、王氏が印象に残る試合として挙げたのが、1968年9月18日の阪神戦だった。

この試合で王氏は頭部に死球を受けて病院に搬送された。その直後、長嶋さんが35号3ランを放ったという。王氏は、長嶋さんが自分の悔しさを晴らしてくれたように感じたと振り返っている。

このエピソードは、二人の関係が単に同じ打線で本塁打を量産しただけではなかったことを伝えている。長年ともに戦ったチームメートとして、相手の悔しさや思いを共有していたのだ。

2026年6月3日、王貞治が発表した一周忌のコメント

長嶋さんの逝去から1年となる2026年6月3日、王氏は福岡ソフトバンクホークスを通じてコメントを発表した。

「野球界にとってどれほど特別な存在」

王氏は、長嶋さんが旅立ってから1年が経過し、その存在の大きさを以前にも増して感じていると述べた。そして、これからも日本野球界を見守り続けてほしいという願いを伝えた。

このコメントで印象的なのは、長嶋さんを単なるかつてのチームメートとしてではなく、日本野球界全体にとって特別な存在として位置付けていることだ。

V9をともに戦い、2000年には日本シリーズで監督として対戦した盟友。その関係を長年にわたって知る王氏だからこそ、言葉に重みがあった。

王貞治の現在は?2026年11月時点の活動と役職

2026年11月現在、王貞治氏は86歳。福岡ソフトバンクホークスの公式会社概要では、取締役会長として掲載されている。報道では球団会長と呼ばれることも多い。

現役引退後は巨人のスターという立場を離れ、ダイエー、ソフトバンクの監督としても球界に貢献してきた。2000年のON対決で長嶋監督と対戦したのも、王氏がダイエーの指揮を執っていた時期である。

王氏の野球界における存在感は、868本塁打という現役時代の記録だけでは説明できない。指導者としての経験、球団運営に携わる立場、野球文化の発展への貢献など、活動の領域は広い。

長嶋さんが亡くなった後も、王氏がその功績に敬意を表し続けていることは、ONコンビが残した歴史を次の世代へ伝えるうえでも大きな意味を持っている。

【長嶋茂雄と王貞治の関係】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:長嶋茂雄と王貞治は本当に仲が良かったのですか?
A1:二人は巨人のチームメートとしてV9を支えた盟友です。王氏は2025年の長嶋さん逝去時にも人柄や現役時代の思い出を語り、2026年の一周忌にも追悼コメントを発表しています。少なくとも公に語られた言葉からは、長年にわたる敬意と特別な関係がうかがえます。

Q2:ON砲とは何ですか?
A2:王貞治の「O」と長嶋茂雄の「N」を組み合わせた呼び名です。巨人の主軸打者として活躍した二人のコンビを指し、ONコンビ、ON砲と呼ばれました。1965年から1973年までのV9を支えた象徴的な存在です。

Q3:長嶋茂雄と王貞治は2000年の日本シリーズで対戦したのですか?
A3:はい。長嶋茂雄監督の巨人と王貞治監督のダイエーが対戦しました。序盤はダイエーが2連勝しましたが、巨人が4連勝して4勝2敗で日本一となりました。松井秀喜がMVPを獲得しています。

Q4:長嶋茂雄さんはいつ亡くなりましたか?
A4:2025年6月3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。享年89歳です。2026年6月3日に一周忌を迎えました。

Q5:王貞治氏は2026年現在、何をしていますか?
A5:2026年11月現在、福岡ソフトバンクホークスの取締役会長を務めています。1940年5月20日生まれで86歳です。現役時代の通算868本塁打は日本プロ野球の歴代最多記録です。

まとめ:長嶋茂雄と王貞治が日本野球界に残した不滅の功績

長嶋茂雄と王貞治は、単に巨人の強力打線を形成した二人のスター選手ではなかった。

1958年から始まった出会い、1959年の天覧試合、1965年から1973年のV9、そして2000年の日本シリーズON対決。長い年月の中で二人は同じチームの仲間となり、異なる球団の監督として競い合いながら、日本プロ野球の歴史をつくってきた。

個人記録を振り返れば、王は868本塁打という圧倒的な数字を残し、長嶋は2471安打、444本塁打、打率.305という総合力でファンを魅了した。異なる強みを持つ二人だからこそ、ON砲は特別な存在になった。

2025年6月3日に長嶋さんが旅立ち、2026年6月3日に王氏が一周忌の言葉を寄せた。その言葉が伝えたのは、長嶋茂雄という一人の選手が、かつてのチームメートにとっても、日本野球界にとっても、どれほど大きな存在だったかということだ。

野球の記録は数字として残る。しかし、同じ時代を戦った仲間との関係や、ファンの記憶に刻まれた名場面は、数字だけでは測れない。

長嶋茂雄と王貞治。二人が築いたON砲の歴史は、これからも日本プロ野球を語るうえで欠かせない財産であり続ける。

主な根拠資料:日本野球機構、野球殿堂博物館、読売ジャイアンツ公式、日本プロ野球名球会、放送ライブラリー、共同通信、日刊スポーツ、福岡ソフトバンクホークス公式、2026年6月3日の一周忌報道。