【三島由紀夫はなぜ太宰治が嫌いだった?】批判の背景にあった3つの理由

目次

三島の太宰嫌いは、単なる好き嫌いではなかった。

三島は太宰の作品に才能を認めながらも、その文学の姿勢や人間の弱さの扱い方に強い反発を示していた。さらに、後年の発言をたどると、太宰に対する嫌悪の奥には、自分自身との類似性を感じる恐怖もあったことが分かる。

1.弱さを文学的な魅力に変える姿勢への反発

太宰治三島由紀夫

三島の太宰批判を理解するうえで欠かせないのが、1955年刊行の随筆集『小説家の休暇』である。

この作品の6月30日の項では、三島は太宰の文学や人間性について、かなり厳しい言葉を並べている。

とりわけ重要なのが、作家の弱点を作品に生かすことと、弱点そのものを肯定することは違うという考え方だ。

三島は次のように記している。

弱点をそのまま強味へもってゆこうとする操作は、私には自己欺瞞に思われる。

三島にとって、文学は自分の弱さをさらけ出すだけの営みではなかった。

弱さを認識したうえで、それを克服し、意志や形式によって作品へと昇華させることに価値を見いだしていた。

一方、三島が捉えた太宰文学は、弱さや優柔不断さ、自己憐憫を作品の魅力へ変換するものだった。

この違いが、三島の批判の根本にあった。

2.「滅亡的センチメンタリズム」への嫌悪

1950年2月4日付の朝日新聞夕刊の人物インタビューで、三島は太宰について、かなり直接的な表現を使っている。

その言葉が、

太宰治大きらい。あれは滅亡的センチメンタリズムよ。

というものだった。

三島が嫌ったのは、単に悲しい物語や破滅を描く文学ではない。

人間の弱さや破滅を、批判的に見つめるのではなく、ある種の美しさや感傷として受け入れてしまう姿勢だった。

太宰の『人間失格』や『斜陽』には、社会に適応できない人間、自己嫌悪に苦しむ人間、滅びへ向かう人間が登場する。

三島は、こうした人物の弱さを描くこと自体を否定したわけではない。問題視したのは、その弱さをどのような態度で表現するかだった。

また、『小説家の休暇』では、太宰の生活態度や自己演出にも批判を広げている。

ここには、芸術と生活をどう結び付けるかという、作家としての根本的な価値観の違いが表れている。

3.実は自分と似ていたからこそ嫌いだった

三島の太宰嫌いを最も深く理解できるのは、1964年のNHKラジオ番組「作家訪問」での発言だ。

高校生から太宰への批判について質問された三島は、自分にも太宰と似たところがあると認めている。

そして、太宰に惹かれてしまえば、自分も同じような生き方になってしまうのではないかという恐怖を語った。

つまり、太宰は三島にとって、単なる嫌いな作家ではなかった。

自分の内面にある、認めたくない部分を映し出す存在だった可能性がある。

三島は、太宰の作品に触れることで、自分の中にもある感傷性や弱さ、自己破壊的な衝動を意識させられたのではないか。

そのため、太宰を好きにならないこと、自分は太宰とは違うと考え続けることが、文学者としての自己形成に関わっていたと解釈できる。

これは単なる反発では説明しきれない、複雑な感情である。

【文学観を徹底比較】太宰治と三島由紀夫は何が違ったのか

二人の文学観を比較すると、対面時の衝突がなぜ象徴的な出来事として語り継がれてきたのかが見えてくる。

ただし、太宰を弱さの作家、三島を強さの作家と単純に分類するだけでは、両者の文学の奥行きを見失ってしまう。

太宰治は人間の弱さや矛盾を描いた


(1909〜1948年)

代表作:『人間失格』『斜陽』『走れメロス』『ヴィヨンの妻』

人間の弱さ、恥、孤独、自己嫌悪を、ユーモアや皮肉を交えながら描いた作家。

太宰文学の大きな特徴は、登場人物の内面を隠さずに描くことだ。

『人間失格』では、主人公の大庭葉蔵が他人との関係に苦しみ、道化を演じながら生きる姿が描かれる。

『斜陽』では、没落する旧華族の家族を通じて、戦後の社会における価値観の変化が表現されている。

しかし、太宰文学を絶望だけで説明することはできない。

『走れメロス』には友情と信頼があり、『富嶽百景』には人間や人生を肯定的に見つめる視線がある。『斜陽』のかず子も、単に滅びていく人物ではなく、新しい価値観を求めて生きようとする人物だ。

太宰は弱さを描きながらも、人間の中にある希望やしたたかさを見つめていた。

三島由紀夫は美と意志、形式を追求した


(1925〜1970年)

代表作:『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『豊饒の海』

美、肉体、意志、死、生の意味などを、緻密な文章と構成によって追求した作家。

三島文学では、美しいものをどのように認識し、現実の中でどう成立させるかという問題が重要な位置を占める。

『金閣寺』では、美に取りつかれた主人公が、現実と理想の間で葛藤する。

『仮面の告白』では、自分自身の内面と社会的な役割とのずれが描かれている。

また、三島は肉体を鍛えることにも関心を持ち、文学と身体、精神と行動の関係を追求した。

ただし、三島もまた自己の内面にある苦悩や矛盾を作品に取り込んでいる。太宰とまったく正反対の作家だったわけではない。

二人の文学観を比較すると

比較項目 太宰治 三島由紀夫
中心的な関心 人間の弱さ、孤独、恥 美、意志、肉体、形式
人間の描き方 矛盾や欠点をさらけ出す 内面を構築的に表現する
自己表現 告白、道化、自己戯画化 仮面、演技、美的構成
代表的な作品 『人間失格』『斜陽』 『仮面の告白』『金閣寺』
文学への姿勢 不完全な人間の現実を見つめる 理想と現実の緊張関係を追求する
弱さへの向き合い方 弱さや矛盾を文学の題材にする 弱さを意志や形式によって乗り越えようとする

この比較で重要なのは、二人とも絶望や自己認識を文学の重要な出発点としていたことだ。

立正大学リポジトリ所収の菅原洋一による論考「三島由紀夫と太宰治―絶望と祈りと―」も、両者の作品を比較しながら、表面的には対照的な二人の内面に共通する問題を見いだしている。

同論考では、太宰の『人間失格』と三島の『仮面の告白』にも共通する文学的な相貌があると論じられている。

【独自考察】太宰と三島は、本当に正反対だったのか

二人を単純に対立する作家として理解するのは、少しもったいない。

太宰は弱さを隠さず、三島は弱さを乗り越えるために強さや美を求めた。

しかし、どちらも自分という人間をどう受け止めるかという問題から逃れられなかった。

太宰が『人間失格』で人間社会への適応の難しさを描いたように、三島も『仮面の告白』で自己と他者の間にある隔たりを描いている。

つまり、表現方法は異なっていても、二人は人間の内面にある不安定さを文学の中心に置いていた。

三島が太宰を嫌った理由の一つに、自分の中にも太宰と共通するものを感じていたことがあるとすれば、二人の関係は単なる対立ではなく、文学的な自己認識をめぐる関係だったとも考えられる。


【太宰治と三島由紀の夫】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:太宰治と三島由紀夫が会ったのはいつですか?

A1:1946年12月14日です。高原紀一の下宿先で開かれた文学青年たちの酒席で、亀井勝一郎も同席していました。三島の会計日記が日付を裏付けています。

Q2:三島由紀夫は本当に「僕は太宰さんの文学は嫌いなんです」と言ったのですか?

A2:三島自身が『私の遍歴時代』に記し、同席者の野原一夫も発言の趣旨を回想しています。ただし、矢代静一や高原紀一の証言とは食い違いがあり、正確な言葉や会話の流れまでは確定していません。

Q3:三島由紀夫が太宰治を嫌いだった理由は何ですか?

A3:太宰文学に見られる感傷性、自己戯画化、弱さを文学的な強みに変える姿勢に反発していました。また、1964年のNHKラジオで、自分と太宰に似たところがあることへの恐怖も語っています。

Q4:太宰治の『斜陽』が二人の対立の原因だったのですか?

A4:『斜陽』は三島の批判対象の一つですが、二人が会った1946年12月にはまだ執筆・発表されていません。対面の原因を『斜陽』への批判とするのは、年代的に正確ではありません。

Q5:太宰治と三島由紀夫は何度会っていますか?

A5:確認されている対面は1946年12月14日の一度です。二人の間に長期的な交友関係があったことを示す資料はありません。

Q6:三島由紀夫は太宰治の才能も否定していたのですか?

A6:いいえ。三島は太宰の才能を認める発言もしています。批判の中心は、作品の技術的な評価だけではなく、太宰の文学的姿勢や人間性に対する価値観の違いにありました。


まとめ:太宰治と三島由紀夫の関係は単純な嫌悪では説明できない

太宰治と三島由紀夫の関係を読み解くうえで、最も重要なのは、1946年12月14日の対面と、後年の三島による回想を区別することだ。

二人が実際に会ったことは、三島の会計日記によって裏付けられている。一方、「僕は太宰さんの文学は嫌いなんです」という有名な発言については、三島本人の記述と同席者の回想に違いが残る。

また、三島の太宰嫌いには、次のような複数の背景があった。

- 太宰の感傷的な文学表現への反発。
- 人間の弱さを文学的な強みに変える姿勢への批判。
- 自己戯画化や自己演出に対する嫌悪。
- 太宰に自分と似た部分を感じていたことへの恐怖。

特に注目したいのは、三島自身が太宰との類似性を認めていた点である。

2026年は、二人が対面した1946年から80年となる節目の年だ。

太宰は弱さを見つめ、三島は強さを求めた。しかし、二人とも人間の内面にある矛盾や絶望を文学に変えようとした。

この共通点を踏まえると、「太宰嫌い」という有名な言葉の裏側には、単なる文学的な対立を超えた、三島自身の自己認識が隠されていたことが見えてくる。

二人の関係を知ることは、昭和文学における異なる美意識を理解するだけでなく、作家が自分自身の弱さや矛盾とどう向き合うのかを考える手掛かりにもなる。