【作者は誰?】高村光雲と後藤貞行が手掛けた銅像の制作秘話
上野の西郷隆盛像は、一人の彫刻家がすべてを制作した作品ではありません。西郷本人と足元の犬では、担当した彫刻家が異なります。
西郷隆盛本人を制作した高村光雲

人物像を担当したのは、明治から昭和にかけて活躍した彫刻家、
高村光雲は、日本の伝統的な木彫技術を基礎に、写実的な人物表現を得意とした彫刻家です。上野の西郷像でも、堂々とした体格や穏やかな表情が印象的な作品に仕上げています。
ただし、制作工程には複数の人物が関わっています。
東京都江戸東京博物館の調査資料が紹介する『上野公園へ行こう―歴史&アート探検』によれば、高村光雲が担当したのは首から上で、体の部分は当時東京美術学校で教えていた岡崎雪声が制作したとされています。
一般的には「高村光雲作」と紹介されますが、実際の制作は複数の専門家による共同作業だったのです。
犬の像を担当した後藤貞行
西郷の隣にいる犬を制作したのは、彫刻家の
後藤は馬の研究や彫刻でも知られ、動物の骨格や筋肉の表現に優れた人物でした。
西郷像では、人物と犬で異なる専門性が生かされています。
- 西郷隆盛の人物像:高村光雲
- 犬の像:後藤貞行
- 人物像の体部:岡崎雪声が制作したとする資料がある
東京都建設局の公式案内も、高村光雲と後藤貞行の役割をそれぞれ紹介しています。
この制作体制を知ってから像を見ると、西郷の表情だけでなく、足元の犬の姿勢や身体のつくりにも目が向くはずです。
【なぜ上野にある?】彰義隊と上野戦争が関係する設置場所の歴史
西郷隆盛像が上野に建てられた理由を理解するには、1868年(慶応4年)の上野戦争まで歴史をさかのぼる必要があります。
上野戦争で薩摩軍と彰義隊が激突
1868年、戊辰戦争の一環として上野で戦闘が起こりました。
当時、上野の寛永寺には、旧幕府側の彰義隊が立てこもっていました。彰義隊は徳川幕府を守るために結成された部隊で、新政府軍と対立していました。
この戦いでは、西郷隆盛が関わった薩摩軍も新政府軍の中心として戦っています。
現在の西郷像がある周辺は、当時の戦闘と関係の深い場所でした。
国立国会図書館の国際子ども図書館が公開する上野の歴史案内によると、銅像付近は江戸時代に山王社があったことから「山王台」と呼ばれています。
上野戦争では彰義隊がこの場所に大砲を設置し、新政府軍、特に西郷率いる薩摩軍と激戦になったと伝えられています。
なぜ戦った場所に西郷像を建てたのか
ここには、明治時代の政治的な事情も関係しています。
西郷隆盛は明治維新の功労者でしたが、1877年(明治10年)の西南戦争では明治政府と敵対しました。
そのため、死後に顕彰する銅像をどこに建てるかは、単純な場所選びではありませんでした。
東京都江戸東京博物館の調査資料によると、当初は皇居前の楠木正成像付近に建立する案もありました。
しかし、関係者による議論の結果、最終的に上野が候補地として選ばれます。
その理由の一つが、上野戦争で薩摩兵が奮戦した土地であることでした。
建立発起人には鹿児島県出身の樺山資紀らが名を連ねています。設置場所についても、三枚橋付近、不忍池のほとり、旧陸軍陣地付近など、複数の候補が検討された記録が紹介されています。
つまり、上野の西郷像は単なる英雄の記念碑ではありません。
幕府側と新政府側が激しく争った土地に、かつての敵味方という立場を超えて西郷を顕彰する像が建てられたことに、明治という時代の歴史的な転換が表れています。
【浴衣姿と愛犬ツン】西郷隆盛像に隠された意外なエピソード
西郷隆盛といえば、明治維新を主導した政治家であり軍人という印象が強い人物です。
ところが、上野の銅像は軍服姿でも正装でもありません。浴衣のような着流し姿で、犬を連れて立っています。
なぜ、このような姿が選ばれたのでしょうか。
浴衣姿は兎狩りに出かける日常の姿
銅像が表現しているのは、愛犬を連れて兎狩りに出かける西郷の姿です。
西郷隆盛は鹿児島に戻った後、狩猟を楽しんだことで知られています。犬を連れて山野を歩く姿は、軍人としての西郷とは異なる一面を伝えています。
彫像の意匠については、従弟の大山巌が兎狩りの姿を提案したという説があります。
また、軍服姿での建立が政治的に難しかったため、あえて日常的な服装になったという説明も紹介されています。
TBSの2020年の番組解説でも、当初は軍服姿が検討され、政治的な配慮から浴衣姿になったという説が取り上げられました。
ただし、服装を決めた経緯については複数の説明があり、東京都建設局の公式案内にも詳しい決定過程は記載されていません。
注目したいのは、英雄としての威厳を強調する軍服姿ではなく、犬とともに狩りへ出かける自然体の西郷が表現されていることです。
愛犬ツンの名前と由来は?
犬の名前はツンです。
ツンは薩摩犬の雌犬で、鹿児島県薩摩川内市の東郷町藤川に住んでいた前田善兵衛が飼っていた犬として伝えられています。
鹿児島県の公式観光情報によると、西郷隆盛が兎狩りの得意なツンを気に入り、求めに応じて前田善兵衛から譲り受けたとされています。
ツンの特徴として伝わっているのは、次のとおりです。
- 犬種:薩摩犬
- 性別:雌
- 特徴:虎毛、立った耳、左尾
- 得意なこと:兎狩り
- 元の飼い主:前田善兵衛
鹿児島県立図書館の調査記録にも、ツンは虎毛の左尾を持つ雌犬として記録されています。
なお、「ツン」という名前の語源については、紹介されている郷土資料や公的観光案内に明確な説明はありません。
西郷が飼っていた犬には、クロ、シロ、カヤ、ブチなど、短く親しみやすい名前が付けられていました。鹿児島県の観光案内でも、犬の毛並みや見た目などに由来する名前が多かったと紹介されています。
そのため、ツンという名前についても、特定の言葉や意味から名付けられたと断定することはできません。
実は銅像の犬は本物のツンではない?
ここには、あまり知られていない興味深い事実があります。
上野の銅像にいる犬は、実際のツンそのものをモデルにしたわけではないとされています。
熊本県立図書館のレファレンス記録では、犬の像のモデルは、薩摩出身の軍人・仁礼景範が東京で飼っていた別の薩摩犬だったと説明されています。
小学館の雑誌『サライ』の記事では、その犬の名前は「サワ」と紹介されています。
つまり、実際のツンは雌犬でしたが、銅像の犬の制作には別の犬がモデルとして使われたということです。
このエピソードは、銅像にまつわる代表的な誤解の一つです。
現在の上野の銅像では、犬は一般に「ツン」として親しまれていますが、歴史上の実在のツンと、彫刻の直接的なモデルは区別して理解する必要があります。
【1898年・明治31年】建立から12月18日の除幕式までを年表で整理
西郷隆盛像の建立は、明治維新から約30年後の1898年です。
西郷の死後、旧友や関係者による顕彰の動きが進み、銅像建設が実現しました。
特に重要なのが、1898年12月18日に行われた除幕式です。
西郷隆盛像の基本情報と歴史年表
12月18日の除幕式で何が行われたのか
明治31年12月18日、上野公園で西郷隆盛像の除幕式が行われました。
当日は関係者や来賓が集まり、銅像の完成を祝いました。
建立120年祭の記録として公開された関係団体の資料には、当時の新聞記事をもとにした式典の様子も紹介されています。
建設委員長の樺山資紀による報告や、山縣有朋の祝辞、勝海舟の和歌に関するエピソードなどが記されています。
また、西郷像は人物像だけで高さ370.1cmという大きさを誇ります。
胸囲は256.7cm、足の大きさは55.1cm。実際に目の前に立つと、数字以上の存在感があります。
東京都建設局の公表値は370.1cmで、台東区公式観光情報では一般向けに3.7mと紹介されています。
この数字の違いは、測定精度を含む表示上の違いであり、別の銅像を指しているわけではありません。
【2026年最新】現在の西郷隆盛像の場所と見どころ
2026年現在も、西郷隆盛像は上野恩賜公園を代表する歴史的スポットとして公開されています。
東京都の観光公式サイトGO TOKYOでも、2026年1月28日更新の観光情報で紹介されています。
現在の所在地は東京都台東区上野公園1丁目です。
現在の設置場所は山王台広場
銅像が設置されているのは、上野恩賜公園の南東部分にある山王台広場です。
不忍池と上野駅の間に位置する高台で、上野広小路方面を向いています。
国立国会図書館の案内によると、この場所は武蔵野台地の東端に当たり、上野特有の起伏に富んだ地形を感じられる場所でもあります。
また、山王台広場は周囲の建物の屋上部分とつながっており、上野駅側からエレベーターを利用してアクセスできる経路もあります。
2026年に現地で注目したい3つのポイント
1. 西郷隆盛の全身像
まず注目したいのは、約3.7mという人物像の大きさです。
軍服姿ではなく、浴衣姿で立つ西郷の姿は、ほかの近代日本の偉人像とは異なる個性を持っています。
2. 足元の愛犬ツン
西郷の足元には、堂々とした姿勢の犬がいます。
犬の像は後藤貞行の制作によるもので、人物像とは別の彫刻家の仕事です。動物彫刻に注目すると、作品の見方が変わります。
3. 上野戦争の歴史を感じる周辺環境
西郷像だけを撮影して帰るのではなく、周辺にある彰義隊の墓などにも目を向けると、上野という土地が持つ歴史的な意味が見えてきます。
東京都建設局の公園案内には、西郷隆盛像のほか、不忍弁天堂、清水観音堂、上野東照宮なども見どころとして掲載されています。
【アクセス・行き方】JR上野駅から西郷隆盛像まで何分?
西郷隆盛像は駅から近く、上野観光の途中にも立ち寄りやすい場所にあります。
最寄り駅と徒歩時間
| 交通機関 | 最寄り駅 | 徒歩の目安 |
|---|---|---|
| JR各線 | 上野駅 | 約1分 |
| 東京メトロ銀座線 | 上野駅 | 約4分 |
| 東京メトロ日比谷線 | 上野駅 | 約4分 |
| 京成本線 | 京成上野駅 | 約1分 |
| 都営大江戸線 | 上野御徒町駅 | 約5分 |
台東区公式観光情報では、JR上野駅から徒歩約1分と案内されています。東京都建設局の公園全体のアクセス案内では、JR上野駅から徒歩2分です。目的地や駅の出口によって所要時間が異なります。
初めて訪れる人におすすめの行き方
JR上野駅を利用するなら、しのばず口方面から向かうと便利です。
銅像のある山王台広場は高台に位置しているため、周辺の地形を意識して歩くと場所を見つけやすくなります。
観光の際は、次のような順番で巡るのもおすすめです。
- 西郷隆盛像で記念撮影
- 彰義隊の墓周辺で上野戦争の歴史を知る
- 不忍池方面へ移動
- 不忍弁天堂を見学
- 清水観音堂方面へ散策
上野公園は歴史・文化施設が集まるエリアです。西郷像を起点に散策すると、幕末から明治、江戸時代までの歴史を一度に感じられます。
【西郷隆盛像上野】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:上野公園の西郷隆盛像を作ったのは誰ですか?
A1:西郷隆盛本人の像は高村光雲、隣にいる犬の像は後藤貞行が担当しました。なお、人物像の体部については岡崎雪声が制作したとする資料もあります。
Q2:西郷隆盛像はなぜ上野に建てられたのですか?
A2:上野は1868年の上野戦争で彰義隊と新政府軍が戦った歴史的な土地です。薩摩兵が奮戦した場所として西郷とのゆかりも深く、建立候補地の議論を経て山王台に設置されました。
Q3:西郷隆盛像の犬の名前は何ですか?
A3:犬の名前はツンです。鹿児島で西郷が譲り受けた雌の薩摩犬として知られています。ただし、上野の銅像の犬は別の犬をモデルにしたとする資料があります。
Q4:西郷隆盛像の除幕式はいつですか?
A4:1898年(明治31年)12月18日です。東京都建設局の公式案内にも、この日付が記録されています。
Q5:西郷隆盛像の高さは何メートルですか?
A5:人物像の高さは約3.7メートルです。東京都建設局の公表値では370.1cmとなっています。
Q6:西郷隆盛像はJR上野駅から歩いて行けますか?
A6:はい。台東区公式観光情報では、JR上野駅から徒歩約1分と案内されています。
まとめ:上野公園の西郷隆盛像は明治の歴史を伝える貴重な文化遺産
上野公園の西郷隆盛像は、単に明治維新の英雄を記念する銅像ではありません。
高村光雲、後藤貞行、岡崎雪声ら複数の専門家が関わった制作背景、彰義隊と薩摩軍が激突した上野戦争との関係、そして愛犬ツンにまつわるエピソードが重なり合った歴史的な作品です。
【プロの結論】
西郷隆盛像を理解するうえで、特に押さえておきたいのは次の3点です。
1. 作者を正しく理解すること:人物像は高村光雲、犬は後藤貞行。制作工程には岡崎雪声も関わっています。
2. 設置場所の歴史を知ること:上野戦争の舞台となった土地に、西郷の功績を顕彰する像が建てられたことに意味があります。
3. ツンにまつわる事実を知ること:実在した愛犬ツンと、銅像の犬の直接的なモデルは同一とは限りません。
2026年に上野を訪れるなら、ぜひ西郷隆盛像の前で足を止めてみてください。
浴衣姿の西郷と犬のツンを眺めるだけでなく、約130年前の建立に込められた歴史的背景まで知ることで、いつもの上野公園が違った景色に見えてくるはずです。